カンボジアのプノンペンで開催された第37回ユネスコ世界遺産委員会において「富士山」が文化遺産として世界遺産に決定しました。これからの責任とこみあげる喜びを感じています。
今回、ユネスコ諮問機関は「日本の国家的象徴だが、その影響は日本をはるかに超えて及んでいる」とし、「富士山を顕著にしているのは宗教的伝統と芸術的伝統の融合である」と評価しました。そして、浅間神社など24の構成資産に着目し、乱開発を止め、来訪者対策をたて、名称を精神性と芸術的関連性を反映するものに変更して平成二八年までに保全状況を報告するよう求めた慧眼に、感謝しています。
“文化遺産”とは、辞書を引けば“前代の人が残した業績”とありますが富士山は、実は“遺産”ではありません。今も、これからも人の心を雄々しく清らかにする霊峰です。
私は学生時代、登山部に所属し、日本の山々をテントを担いで登りましたが、登るにつれ、登山はレジャー、スポーツではなく、私の中で祈りと神々への讃美の行為として位置づけられていきました。明治から大正にかけて富士山に4度登った英国人牧師ウェストンは登山をしながら「古い世界の夢との霊的な交わり」を語り、一八六〇年(万延元年)西洋人として初登山した初代駐日英国公使オールコックは夕日の中の赤の壮厳さを称えています。山を神聖視し、信仰の対象とするのは日本文化の原点ともいえますが、同時に日本を超えて普遍的な価値へとつながることに世界の多くの人が感じ入っていただくことで共生の21世紀の世界文明を切り拓くことへとつながっていくことを期待します。
各地の山々には、それぞれの神々がおられ、鎮守の森は古来より人々の心の拠り所です。環境保全に尽くすことはこれからの時代を生きる人の責務であり生き甲斐ともなるのではないでしょうか。
多摩川のほとりに立つわが家から見える富士には毎朝手を合わせ、清明心をいただいています。近所の浅間神社に参れば老若男女の晴れ晴れとした顔に出会うことが出来ます。
「みななろう、大きく美しく・・・」亡き恩師の笑顔とお山が重なって見えます。