2013年2月16日
栃木へ

宇都宮へ
意欲的な取り組みをしている女子高校を見学。
土曜の午後もサッカーボールやバスケットボールを手に心身を鍛えている明るい女子高生。感動です。

那須へ
乃木神社参拝
乃木希典大将が田畑で働いていた頃の家があります。
地元の人は「乃木さん」と今も親しみをもって語られていました。
遺書も読ませていただきました。その覚悟に胸いっぱい。

大田原へ
栃木三区、みんなの党渡辺喜美さんと戦い、善戦して自民党の議席を作り直した簗和生さん(33)の自民党栃木県第三選挙区支部新春の集いで講演。
300人の予定が倍以上の人。あわてて部屋を借り直し、モニターを置いての講演。
懇親会では、自民党がこの地で議席を得られた事への喜びが多くの人から語られました。
期待を背に、しっかりと良い仕事をせねばなりません。

この大田原の地は那須与一のふるさと。
平家物語によれば、2月18日、荒れる波の四国屋島の戦いで二十歳の与一は弓を引き、扇を射て、その紅色の扇は夕日のように輝いて波間に落ちたとあります。
鏑矢を放つ直前、与一は目を閉じて
「南無八幡大菩薩、とりわけわが国の神々、日光権現、宇都宮、那須温泉大明神、願わくはあおの扇の真ん中を射させてくれ給え。これを射損じる位ならば、弓切り折り自ら自害して、人に二度と顔を向けられず。今一度本国へ向かへんと思し召さば、この矢外させ給うな」
と祈ったといいます。

覚悟をもって、腹をすえ、一生懸命で働く尊さを栃木三区の皆さまからいただきました。
大田原はもともと大俵と書かれたほどで、いかにも米どころらしい名前です。
今でもお米がたくさん採れます。
水も良く、土も良く、環境も良く、野菜もたくさん採れるそうです。

日本農業の再生は、日本を取り戻す一丁目一番地です。