メッセージ(バックナンバー)

 産経新聞の「朝の詩」の2月の月間賞に89才の豊原よし子さんの詩「ひとり」が選ばれました。

「ひとり」(産経新聞 平成18年3月12日)
ゆっくりと朝刊を 読みました
郵便局へも 行きました
スーパーで野菜も 買いました
お風呂もしっかり つかりました
今日で四日目 言葉を使わない日が 続きます

 豊原さんは受賞にあたって、こう答えておられます。
 「生まれて初めての投稿でしたが、詩ではなく、だれかに聞いてもらいたい独り言、いや寝言でした。それが掲載されたばかりか、月間賞までいただくなんて…。今は喜びよりも戸惑いの方が大きいです。」
 お人柄がしのばれ、思わず頭を下げてしまいました。私の両祖母も長寿でした。私が遊びに行くと「長生きするのは大変だよ」と言いながら、いつもニコニコしていましたっけ。
 実は、先週、私の仲人をしてくださった笠置八千代さんが89才で亡くなられ、お葬式に銀座教会に行ったのです。不器用な私と夫を無理矢理にくっつけてくださった大恩人で、元タカラジェンヌ。新聞記者だった夫を助けて世界中を飛び回り、未亡人になってからは手話で歌を広めるボランティアをされていました。
 お葬式のお説教で牧師さまは「毎週、ニコニコとオシャレをして前の席にお座りになられていました。2月の日曜日もお元気でミサに来られ、二日後の火曜に入院されて間もなく天に旅立たれたのです。大変なこともおありでしたでしょうに、そのような様子は見せず、いつも笑顔でした」と言われました。
 ご子息は「聖路加病院に入院中も医師や看護師さんたちの態度や言葉を注意し、もっとこうしたほうが患者は幸せになれるのよと、アドバイスしていたようです。母のエネルギーはどこから来るのでしょう」と言っておられました。89才という年令は、私には想像もつきません。
 八千代おばさまはお会いするたび「私は、舞台でよりも楽屋の中でスターだったのよ。えり子は美人じゃないけど笑うと愛敬があるわよ。女は愛敬」と、すみれの花咲く頃を手話でいつも歌ってくださるのでした。お葬式の会場は、桜と梅で女性らしさにあふれ、聾唖の皆さまが東京中から集まってくださいました。
 ところで父も最後を聖路加で迎えました。医者のタマゴが、ヘタクソな注射をブスブスと父の腕に射し間違えるので、私が怒っても、父はニコニコと「まあ、そう怒るなよ。パパはもう大したことできないけれど、注射がヘタクソな医者のタマゴの実験台になって、上達への道を歩ませてあげられるんだから」と言っていました。
 豊原よし子さんには、もっともっと長生きしていただいて、独り言、寝言を私たちに聞かせてくださいな。郵便局でもスーパーでも、よし子さまのお姿を目に留めて、何かを思い、生きることを深く心にとめ直す方々がいらっしゃるような気がします。89才まで、私が生きることが出来て、よし子さまのように戸惑うみずみずしさがあるとしたら、お天道さまに感謝したいと思います。
 わが家の小さな庭に、夫が越前育ちの私のためにと植えてくれた越前水仙の花が春の嵐にダンスしています。球根の花って、植えた人が亡くなったあとも毎年律儀に花を咲かせてくれるのですね。彼岸でも越前水仙のダンスは見えますか。
 4月号、月刊ボイスVOICE(3月13日発売)に「保守政治は再生するか」のインタビューを受けています。ジェンダー問題、日本文化、戦後政治などについて話しました。
 本日は、マスコミの取材を受け、特区問題と拉致問題、市場化テスト、教育基本法、青少年問題の会議がありました。

平成18年3月13日 山谷えり子

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