メッセージ(バックナンバー)

 日本・アフリカ友好議員連盟南部アフリカ訪問(ジンバブエ、モザンビーク、ボツワナ、マラウイ、南アフリカ、モーリシャス)大野功統(元防衛庁長官)団長のもと5名でアフリカ6ヶ国を精力的に回ってきました。
 早い朝は3時半や4時起きでプロペラ飛行機を乗り継いだり、砂を巻き上げ、砂漠とバオバブの木を見ながらデコボコ道を走り、青年海外協力隊の皆さんが手がけている農業、村おこし、産業育成などの現状をアフリカの人々の声を聞きながら回ってきました。
 メンバーは大野団長、青年海外協力隊活動に詳しい小渕優子議員、元外務大臣政務官でアフリカに詳しい田中和徳議員、投資問題に詳しい奥野信亮議員、そして私の5名です。

 最初の訪問国ジンバブエは、平均寿命39才、成人のHIV/エイズ感染者は20%。85%の失業率で1000%のハイパーインフレ国ということですが、日曜日に訪ねたので、道端にあちこちで数十人から数百人の人々が元気に歌を歌い礼拝していました。
 日かげもない広場で、朝10時から夕方5時までお祈りする人々もいるとかで、日本のモノサシで測ったり判断することは難しいと思いました。
 北朝鮮と国交があるのでムカベ大統領(82才)とは1時間半にわたり北朝鮮の核、ミサイル、拉致問題、アフリカ問題を話し合いました。この会談は翌日、新聞一面で大きくとりあげられ、TVニュースも大きな扱いでした。
 国連大使、英国大使もつとめたことがあるムンベンゲグヴィ外相は、私が説明しながら手渡した日本外務省が作った拉致のパンフレットを見ながら「拉致の知識は自分になかった。何のために拉致するのか。許されないことだ。このパンフレットをよく読んで、北朝鮮と今後この件について意見交換していく」と言われ、ヌコモ下院議長は「ジンバブエ人が拉致されたとしら、国をあげ全力で解決するだろう。問題を受け止め、外相ともよく話をしていく」と話し、おのおの1時間以上の意見交換をしました。
 その後、日本が援助している病院視察。ジンバブエでただ1人ユニセフ職員として奮闘している女性 (私の学校の後輩で、雑誌の編集者でもあり、久々の再会を喜びました)と、ジンバブエの無形文化の保護(踊りや歌など)について夢中で話しました。
 夜は青年海外協力隊のメンバーとお会いして、野菜づくり教育、電気工事、音楽の分野での献身を聞くことが出来ました。
写真:アフリカ6ヶ国視察風景

 モザンビーク(平均寿命40才)では、日本のための国会議員友好議連が作られ、79人のモザンビーク国会議員が日本との友好のため働いています。
 国会には広島の石が飾られ、核の恐ろしさを知り、“平和のための活動をするのが国会の役目”と日本に留学したこともあるという議員が話してくれました。
 1992−95年日本はモザンビークにPKOを出しています。また古くはフランシスコ=ザビエルが日本に来る前に滞在し、1585年ローマに行った天正遣欧少年使節団(伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルティノ)の4人のメンバーが日本帰国前6ヶ月滞在したという国です。
 モザンビークも北朝鮮と国交があるので、ムレムブエ国会議長は「国会で北朝鮮のミサイル、拉致問題を考えていきたい」アブレウ外相(52才女性)は「よく勉強していきたい」ゲブーザ大統領は私が説明しながら渡したパンフレットに目を通し「政府内で分析する」と言われました。
 モザンビーク外務省は中国の援助で建物が作られています。驚いたことに火災報知器その他が中国語で書かれ、修理にも中国人がやってくるそうです。
 日本的モノサシからすればそこまでするかという感じで、日本のODAは上品すぎるのかもしれません。街を歩くと“ニーハオ”“シェーシェー”と声をかけられ、中国の進出ぶりが想像されます。
 農業学校で野菜づくりを教えている若い日本女性、水産学校で漁業を教えている若い日本男性と、ここでも素晴らしい貢献の姿がありました。
 水産学校の女学生たちに「将来何になりたいの?」を聞くと「学者」「調査官」「検査官」と返事がすぐに返ってきます。
 男の子が熱心に「日本にエビを送っているが、中国はフカヒレを欲しがっている。日本はエビの他に何か欲しいものはないか」と聞いてきました。若者が自分の未来と国の未来を考える姿は、どこにいっても感動を覚えます。
 モザール社というアルミニウムの大会社も見学しました。ハイテク部分は日本が支えており、京都から技術者が出張に来ていました。
 アフリカは鉱物資源の豊かな大陸です。政治と商売の上手な中国に負けてはいられません。友好と共に発展するプログラムを大切に。

 ダイヤモンド資源が最も豊かといわれる(GDPの35%、輸出の70%)ボツワナではダイヤモンド工場を訪ねました。現地の人が1粒1粒ダイヤの質を見て格付け、仕分けをしています。
 私はダイヤを前に、夫が以前10ヶ月ものローンで(夫は友人や部下をよくごちそうするため、いつも金欠病でした)たった1つ買ってくれたダイヤの指輪を、夫が亡くなったあと毎日お守りのように身に付けていたのに、選挙運動中にやせすぎて、落としてしまったことをせつなく思い返しました。
 あのダイヤはきっと星になっていると考えていますが、目の前のダイヤはどんな人にどんなドラマと共に買われていくのでしょうか。幸せな行き先が見つかりますように祈りました。
 もっとも研磨は、デビアス社が行うので、ボツワナが儲けを独占というわけにはいきません。社員に価格の秘密を聞きましたが、よくわかりませんでした。
 ボツワナは平均寿命34才HIV/エイズ感染者が成人の3人に1人といわれています。
 ハーバード大学との共同研究所を訪ね、保健大臣(オシャレな女性でした)と母子感染や検査体制の整備について意見交換しました。ここでも日本女性検査官が働いています。
 北朝鮮と国交があるので核、ミサイル、拉致問題を大統領、バロピ国会議長、メラフェ外相と話しました。モハエ大統領は「国際社会の声に耳を傾けるよう北朝鮮に伝えたい」と言われました。
 今後国連安保理改革での日本の立場を支持するとのことでした。日本の青年海外協力隊の栄養士、コンピューター技師、空手、エイズ教育の素晴らしい貢献が、この地にも躍動していました。

 国土の1/5がマラウイ湖というユネスコ自然遺産の国マラウイ(平均寿命41才)は観光地として発展していきたいと考えており、日本の観光会社に勤めていた女性(36才)が観光村おこし、パンフレットの作り方、デザイン、広告の仕方を教えていました。
 昔の暮らしをそのまましている村で、踊りを見せてもらいました。素足に裸の子供たちが何百人も集まってきました。
 日が暮れて真っ暗になっても踊り続けてくれます。電気がないので原始の暗闇です。南十字星、さそり座がきれいです。
 弟や妹をおんぶし、手を引き、友人の踊りに嬉しそうに拍手する子、見守る大人。突然ゴーギャンがタヒチで語った言葉“我々はどこから来て、どこへ行くのか”というフレーズが思い起こされました。大分県が行っている一村一品運動にアイディアをもらい、マラウイはアフリカ中で最も強く一村一品運動を行っています。
 マラウイの地方自治大臣や村長と共にトマトジャム、ケーキ、ピーナッツオイル、ジュース作りを見て回りました。日本人が技術を教え、機械を与えています。
 自治大臣は200人以上の村人を前に「私は日本の大分に行って見てきました。一村一品で村を発展させ、日本に輸出し、豊かになりましょう。夢をもつこと、夢のために働くこと、政治がリーダーシップをとること。豊かさは、そうすれば実現できます」と大張り切りの大演説をしていました。
 アフリカの産品を日本各地で売れるように二階経済産業大臣が日本のリーダーシップをとっておられます。
 また早起きしてガタガタ車に揺られて山奥の灌漑施工現場も見てきました。日本の農業指導員が灌漑整備し、足押しポンプで畑に水を効率的に行き渡らせ、タマネギ、トウモロコシ、イモの収穫が上がっています。山奥に信じられないような段々畑が出来ています。日本人の勤勉の風景です。
 3才くらいの子が私の顔を見て恐怖の表情で泣き出しました。“白い顔にサングラス、赤い口紅”を初めて見たのでしょうか。お化け屋敷のお化けを見るような目で私を見て泣き叫ぶのにはまいりました。
 マラウイは日本の青年海外協力隊が80人以上活動しています。
 ホテルに何時間もかけて35人が集まってくれました。マラウイに来て「日本の良さが身にしみてわかりました」と口々に言います。
 自分の技術を喜んでくれる人がいることは生き甲斐であり喜びであると言われます。しかし多くの若者が会社を辞めて来ています。休職で来られたらもっとどんなにか増えることでしょう。
 現在年に1200名ほどの協力隊員を出していますが、1万人ほどに増やせれば、日本にとっても、若者にとっても、外国にとっても素晴らしいことです。
 今回は同行の小渕優子議員の発案で、行く先々で日本の若者の活動を見て回り、80人以上の青年、シニア協力隊員とお話できました。帰国後、見て感じたことを生かすためのチームを国会で作りたいと思います。
 マラウイも北朝鮮と国交があるので、核、ミサイル、拉致問題をムタリカ大統領、チマンゴ国会議長、バンダ外相(女性55才)と話しました。
 大統領との会談はテレビカメラが最初から最後まで入りました。「拉致は人権侵害。国連憲章でも人権を大切にしている。日本を支持する。」と大統領は言われ、外相は「拉致された5人は帰国なさったのですよね。」と言われました。この北朝鮮非難の記事は現地のガーディアン紙に“Malawi condemns North Korea”と、大きく載りました。
 大統領は「経済的な貧しさの背景には心構えの貧しさがある。政府がすべてのことをしてくれるとは考えずに、あなた方が働かなければならない」とマルチンルーサーキングやケネディのようなスピーチで国を引っ張ろうとしています。
 会見の前や村の集会の前にはキリストの祈りが行われていました。強い陽ざしの突風の吹く中でアフリカの人と共に祈った祈りは、宗教教義や言語をこえて、人類の原始の姿、敬虔さにおいて、私の心にしみ入りました。

 南アフリカはサハラ以南諸国のGNP4割を占め、年4.9%の高成長。金、ダイヤモンド、プラチナなど豊富な鉱物資源を有する国のため、各国から移民、難民が集まり、このところ治安が悪化しています。
 HIV/エイズ感染者数は500万人を超えるといわれ、世界最大です。平均寿命は43才です。
 日本は南アフリカからの貿易相手国第一位です。2010年にはアフリカ初のFIFAワールドカップサッカー大会が開催されるので、街は工事が始まっています。
 アパルトヘイトの撤廃(91年)ネルソンマンデラ民主政権の発足(94年)により人種融和を進めても問題山積と感じました。マンデラさんの昔の闘争時代の家を訪ねると二度目の奥さん(民主化運動を共に戦った)ウイニーさんがおられ、少しおしゃべりしました。
 夜は、日本の企業、商社の皆さんと南アフリカの経済事情について話しました。日の丸と会社を背負って戦っておられるサムライの皆さまでした。愚痴をいわず工夫をし、働き、理解を求める姿に日本人の美徳“正直、親切、勤勉、節度、品位、調和、献身”を改めて感じ、感謝しました。
 南アフリカ大使夫人は、私の学生時代の隣の机で勉強していた友人です。南アフリカの地での思いがけない再会で飛び上がりました。
 熱烈な恋愛で結ばれ、友人たちの間では最も早く結婚し、今もますます仲良しで、夫婦でビシビシと、しかも笑顔絶やさず闘っている姿に手を合わせました。
 「良き妻、良き母になりなさい。おナベは裏返して底まできちんと磨きなさい。そして台所の窓は開けておいて。窓からアナタを必要している人、場所があったら世界の果てまで駆けていき持てる力を発揮しなさい。与えて、与えて、与えなさい。心が涙で水浸しになっても、体が傷ついても与えなさい。日本人の素晴らしさを誇りとし、灯をかかげなさい。そうすればアナタのかかげた灯を皆が喜び、周囲が明るくなりますから」という教育をしてくれた学びの園の教えを改めて思い出だし、南アフリカ、ジンバブエで同級生と後輩が喜びにあふれて働いている姿に、教育のもつ力を思いました。
 彼女はセネガル大使夫人だった時は“石けんで手を洗おう運動”を広めて現地の人のために石けんを集めて衛生を教育し、喜ばれたといいます。モーリシャスに向かう私たちのために鮭と梅干しのおにぎり弁当を作ってくれました。
 アフリカの子供たちはどこでも水くみ、掃除、弟妹の世話をしています。子供同士でよく遊んでいます。よくしゃべり、笑っています。私が育った日本の昭和20年代、30年代前半の子供たちもそうでした。そして学校では先生の教えを大切にしていました。
 アフリカにあるもの、ないもの、日本にあるもの、ないもの。何を大切にし、何を発展とよぶか、バランスと価値の議論をきちんとして政策を作らないと混乱と予期せぬマイナスが生じることを痛感し続ける旅です。
 平均寿命が短いアフリカではエイズのとらえ方も日本と全く違います。マラリア、マメーバ赤痢、結核で死ぬ人が多いアフリカでは、治療をすればエイズは10年、15年、死なず、栄養食や薬がタダでもらえるから、そう深刻に考えない人も多いという話も聞きました。

 最後の訪問国モーリシャスは「インド洋に浮かぶ貴婦人」といわれる美しい国です。
 ジユグノート大統領、ピュリヤック議長と会談しました。モーリシャスも北朝鮮と国交があります。北朝鮮が早く国際社会の中で良い関係を作ってほしいという思いを込めて会談しました。
 大統領は“どうやって拉致したのか”と質問し“人権侵害、北朝鮮の拉致を非難する”と言われ、議長は“日本の立場を支持する”と言われました。議会の議員のやりとりを見学し、日本の援助による漁業訓練センターを視察しました。
 また、日本の1/3の価格で買えるというダイヤモンド加工工場も見学しました。ヨーロッパから多くのリゾート客が来るモーリシャス、フランスのシラク大統領もよく訪れるというモーリシャスに日本の観光客は年に2300人ほどしか訪れません。どう宣伝したらいいのかを私は元編集長の立場から大統領に提言しました。
 東京都ほどの大きさの島に125万人の人口のモーリシャスはヒンズー教徒が5割、キリスト教徒が3割、イスラム教徒が2割弱という文化、宗教が共存している平均寿命72才の国です。街は南イタリアのようで、仏語、英語が話されています。
 IT産業育成にも力を入れ始めています。中国は奨学金を送り、毎年15人ほどの若者を中国へ留学させているということです。

 2008年アフリカ開発会議を東京で開き、3年でアフリカ援助を倍にしていこうと日本は考えています。
 アフリカ53ヶ国中、日本の大使館がある国は24ヶ国(中国は45ヶ国)です。鉱物資源が豊かで、国連で一票づつもって発言権を増しているアフリカ。貧困と紛争の大陸の安定は世界の安定にもつながります。
 日本・アフリカ友好議員連盟(森喜朗会長)は3年間で、53ヶ国すべてを訪問し、政府要人、アフリカ現地の人々、日本の現地での活動している人々と話し合うことにしました。今年はその3年目にあたり、すべてのアフリカを訪問する仕事をこれで終えることが出来ました。
 私もささやかながら6ヶ国分を担当し、問題意識を深めてきました。現地を見て、人と交流せねばわからぬことがたくさんあります(中国が戦略的にアフリカで力を強めている姿はなかなかです)。自民党はこのことを生かし、アフリカでの日本大使館の倍増を目指し、野口英世アフリカ賞を創設し、戦略的、主体的外交、アフリカ並びに国際社会での外交力を強めていくチーム「外交力強化に関する特命委員会」を作り(中川秀直政務調査会長直轄、森喜朗委員長、町村信孝委員長代理)働いていきます。
 今回団長をつとめてくださった大野功統元防衛庁長官は、ユーモアのセンスと論理、説得力が抜群。英語、仏語がペラペラでアメリカとの2プラス2会議でラムズフェルド国防長官+ライス国務長官をうならせた団長でした。
 国連改革、北朝鮮問題、アフリカ問題、どれも議論をリードし説得力に富んで私はとても勉強になりました。

平成18年8月4日 山谷えり子

<< 前のメッセージへ 次のメッセージへ >>

山谷えり子事務所
〒100-8962 東京都千代田区永田町2-1-1 参議院議員会館611号室
TEL:03-3508-8611/FAX:03-5512-2611