メッセージ(バックナンバー)
 三島由紀夫(1925〜1970)のご命日です。
 1970年のこの日、私は女子大学の体育館でトランポリンをしていました。
 空中高く上がり、キメ技をしようとした瞬間、友人が体育館の入口から絹を裂くような声で「三島が亡くなられた。自決」と叫び、私もまた空中で、裂くような驚きの声を出したことを鮮烈に覚えています。
 体育館に響いた声と、裂けた空間は、今もつくろえないまま裂けっぱなしです。
 三島を深く理解し、また愛された村松英子さんが紀伊国屋ホールで三島の戯曲「薔薇と海賊」を演じられました。この役は村松さんしか演じられないと思えるほどの見事な三島の世界でした。
 また、三島を“500年に一度の天才”という劇団四季の代表浅利慶太さんは、三島の「鹿鳴館」を公演されています。
 最後のカーテンコールで、三島の大きな遺影が舞台中央に白い花で飾られて降りてきた時、涙が出そうになりました。
 帰路、一緒に見た娘も涙が出そうになったと言うので「どうして?同時代を生きたわけではないのに…」と市ヶ谷で三島由紀夫の行った最後の演説と割腹自決の様子そして、政治と文学の間を独自の美学と視点で走り抜けた人生を、不十分と知りつつ娘に話しました。
 娘は「私は三島文学を十分に読んではいないけれど、今日の芝居は、三島さんの考え方、感じ方を役者さんたちがよく表現していらしたと思う。ラストで舞台中央にスーツと三島さんの遺影が降りてきた時、私、“敬愛”という美しさが一緒に降り立ったという感じがした。“敬愛”というこの二文字は、人生と人間を美しくする秘密の鍵でしょ」と言うのです。
 敬愛という香気を、ことに日本の国がら、日本人の人がらに認め、それを愛し、そしてそれが壊されていくことを憂いた三島由紀夫。
 今、生きておられれば82才…です。

平成19年11月25日 山谷えり子

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