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写真:植芝盛平開祖先生の生誕の地にて 第10回国際合気道大会が、植芝盛平開祖先生(1883〜1969)の生誕の地周辺で9日間にわたって行われました。

 初段をいただいている私は、和歌山県熊野本宮での奉納演武会と、植芝守央3代目合気道道主の田辺市での講習会に、11日、12日と参加しました。

 田辺市は開祖先生が青年期まで過ごされた生誕の地です。没後40年の今年、そこに世界95ヶ国、160万人以上もの人々に愛され発展をしている合気道の記念事業のため世界各国から合気道家が集まりました。

 奉納演武は、熊野本宮大社旧社地、大斎原(おおゆのはら)熊野の参詣の中心地で行われました。
 植芝盛平先生は、生涯に百数十回も熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へ参拝され、神仏への思いあつく、あらゆる武道を極めながら、天知人和合という大いなる調和の武道「合気道」をあみ出されました。
 熊野信仰は太陽、生命のよみがえりを願いいただく信仰で、あたり一帯は世界遺産になっています。
 奉納演武会の委員長は熊野本宮大社の九鬼宮司さま、うっそうとした森、高く青い空、神さびた静けさ、天下一の大鳥居…世界中から集まった皆さんの演武を見ながら、新たな生命をいただくようでした。
 また熊野那智大社まで車で1時間以上、足をのばしましたが、133メートルの那智の大滝の轟音を聞きながら、体の中に滝がしぶきをあげて流れるようで、熊野信仰のスケールを感じました。
 仁徳天皇が那智大社に神々を遷されたのが那智大社のはじまりで時の流れの中、大滝はすべてを清め、生命を育んでこられたと、感じる人も多いのではないかと思います。
 千古不変の響きです。大社と並び立つ青岸渡寺は、もとは那智大社と一体でしたが、明治時代に分離された観音信仰のお寺(如意輪堂)です。
 明治時代は新しいものを作ると同時に、古き良きものを随分と乱暴に分離したりこわした時代でもありました。今、ていねいに広い心で神仏が再び歩み寄れたらという動きもあります。
 12日の田辺市体育センターでのお稽古は圧巻でした。
 体育館に畳を600枚敷いて、2時間ほど道主先生の指導により1000人がお稽古。
 外国からこられた合気道家の方は“オーストラリア”“スペインから”“ブラジルから”と嬉しそうに告げあい、日本への尊敬でいっぱいです。
写真:外国からこられた合気道家の方々と
 県知事をはじめ県と市長、市の関係者の方々とも懇談しました。田辺市の商店街の方々は、礼儀正しい外国の方々が、日本のさまざまな商品に興味をもち、買い求められ、また、お食事をめしあがられるので喜んでおられました。
 リスペクト、尊敬の心こそ人を人らしくしてくれるものだと思います。
 盛平先生とは、「モリさん」「クマさん」と呼び合われた仲という南方熊楠(1867〜1941)の居宅も訪ねました。
 東大中退後(東大の同期には夏目漱石、正岡子規、幸田露伴らがいたとか)、ミシガン州立農科大学へ留学。
 帰国して、熊野、那智山付近を研究し、博物学者、民俗学者にして、環境保護運動家でもある熊楠は、明治時代に森を大切に、生態系を大切にと走り回った方でした。
 盛平先生も熊楠先生も、田辺市の聖徳太子創建と伝えられる高山寺にお墓があります。
 盛平先生の墓前には数百人の方々が静かにお参りの列を作っておいででした。道を求める心とはこういうものと改めて胸にしみ入りました。

平成20年10月12日 山谷えり子

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