メッセージ(バックナンバー)
 慶応義塾大学創立150周年記念式典、日吉のグラウンドで1万人の関係者の皆さまとご一緒しました。
 緒方洪庵の適塾で学んだ福沢諭吉は、故郷大分の中津藩の命を受け、江戸で蘭学塾を安政5年23才で始めたのが慶応義塾の誕生。
 安政の大獄、日米修好通商条約、その批准交換のため日本の使節団が渡米する中、咸臨丸に乗り込んだ福沢は「独立自尊」「実学」などの理念を教育の根幹と感じていきます。
 明治23年にはハーバード大学より3人の教師を迎え、私立大学の先駆けとなるのですが、式典に天皇・皇后両陛下臨御のもと、天皇陛下よりあたたかなごあいさつをいただきました。
 また早稲田大学総長、ケンブリッジ大学総長代理、延世大学総長、復旦大学学長、ハーバード大学総長指名代表者のスピーチもいただいて、世界の私立大学のネットワークを感じさせるものでした。

天皇陛下のお言葉(抜粋)
 慶応義塾の創立者、福沢諭吉が蘭学塾を開いた安政5年(1858)年は、日本にとっても誠に重大な年でありました。
 嘉永6(1853)年に来航した米国艦隊のペリー提督との交渉の結果、日本はもはや鎖国政策を維持できなくなり、米、英、仏、露、蘭の5ヶ国と修好通商条約を結び、開国に向かって歩み出しました。
 1858年は、これらの条約を調印した年でありましたが、開国支持者と、それに反対する勢力が争う中での、厳しい出発でありました。
 このような困難な状況の中で、世界の情勢と欧州の文物を、オランダ語を通して学んでいた人々が、開国した日本を支える上に、重要な役割を果たしました。福沢諭吉はその一人であり、著作を通じ、また慶応義塾の教育を通して、わが国の人々に大きな影響を与えました。
 日本は条約調印から31年にして、大日本帝国憲法を発布し、翌年には、第1回帝国議会を開くまでに近代国家としての制度を整えるに至っています。このように短期間に国が発展した陰には、当時の志ある人々が、いかばかり努力をしたかとの思いを深くするのであります。
 今日、わが国は、幾多の課題に直面しており、国際社会において、日本が各国との協力の下に対処していかなければならない問題も少なくありません。
 このような状況下、教育が果たすべき役割は、誠に重要であり、今後も慶応義塾が、国の内外で活躍する人材を数多く育て、送り出すことを期待しています。


平成20年11月8日 山谷えり子

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