メッセージ(バックナンバー)
 東京国際女性デーで、仕事と子育ての話をしました。
 午後新潟に行き、女性部大会のあと、井上信治青年局長、神取忍女性・青年局次長、荻原健司青年局次長、塚田一郎青年局次長、近藤基彦農水副大臣、吉田六左ェ門代議士と1時間以上にわたって街頭演説しました。
  10分ほど歩いたところは横田めぐみさんの通っていた寄居中学校です。
 拉致問題に関して北朝鮮は再調査せず、またミサイル発射準備をしているのではと言われています。
 とんでもないことで、今、日本が何を検討しているかを話しました。寒い中、多くの人が足をお止め下さり、手をお振り下さり感謝です。
 私のおとといの参議院予算委員会TV中継をごらんになったという方から何十人も握手していただきました。
 道徳教材の国庫補助制度が4月から始まります。
  新潟といえば米百俵の小林虎三郎(1828〜1877)『戊辰戦争で困窮にある長岡を救援するために三根山藩主が送ってきた米百俵を分配せずに「食えないときこそ教育が必要」と学校の設立にあて、長岡の教育の基礎を築いた』の話や山本五十六(1884〜1943)『太平洋戦争で真珠湾攻撃やミッドウェー海戦などの作戦実施。ソロモン諸島バレラ島に向かう途中、米軍機に撃墜され戦死』。
 余談ながら、夫のおじは軍医として山本五十六長官の最期を確認しました。
 「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」の言葉は有名で、私の大切にしている言葉でもあります。
 また出雲崎には良寛和尚(1758〜1831)がいらっしゃいます(出雲崎といえば、最近は演歌歌手のジェロさんの歌で有名ですが)。
 「裏をみせ表をみせて散るもみじ」の句は、父が晩秋に亡くなった時に自分をなぐさめるため幾度もつぶやいたものでした。
 他に良寛さまの歌には「われ喚(よび)て故郷へ行(ゆく)や夜の雁(かり)」「倒るれば倒るるままの庭の草」などがあります。
 こうした素晴らしいふるさとの先人をもっと新潟の子供たちに伝えましょうと訴えると、多くの賛成の拍手をいただきました。
 良寛和尚さま、古今の著名な高僧の中で、集団の長とならなかったのは自由・無心の悟りの境地を大切になさりたかったからでしょう。
 良寛和尚の僧名は「大愚(たいぐ)」ですが、これは33才の時、師の国仙和尚さまが授けられたものだそうです。
 国仙和尚さまは「あなたは一見愚者のようだけれど、だれより道を求める心は広いので、悠々と生きなされ」との思いをこめて「大愚」という道号を卒業証書を渡すような思いで授けられたといいます。
 大賢は大愚に似たり…そういえば父から私はよく言われました。
 私がわかったようなことをペラペラしゃべると、父はニヤッと笑って“タイケンはタイグにニタリ”と言うので、私は話す意欲をペシャンコにされるのでした。

良寛和尚さまには、
「霞立つ長き春日を子供らと手まりつきつつ今日もくらしつ」
「たらちねの母がかたみと朝夕に佐渡の島べをうち見つるかも」
などのやさしい歌もあれば、
「吾が生は何処(いずこ)より来り去りて何処にか之(ゆ)く独(ひとり)蓬窗(ほうそう)の下に坐し兀々(ごつごつ)として静かに尋思(じんし)す」
という身のひきしまる漢詩もあります。

 良寛和尚さまの書は、筆の上の方を持たれてまっすぐに立ててゆっくりお書きになられたと伝えられています。
 草書は唐の僧、懐素(かいそ)の「自叙帖」を熱心に学ばれたといわれ、万葉仮名は平安時代の書家、小野道風の「秋萩帖」(あきはぎじょう)を勉強なさったと言われています。
 …いずれも、今、私が書道をお習いしている先生から教えていただいたもので、良寛和尚さまの雰囲気のある澄んだ線の運びをこの2ヶ月間勉強しているところなのです。
 和尚さまのその勉強ぶりたるやとてつもないもので、子供と手まりやかくれんぼを楽しんだ和尚さまの真の姿をほんの少し知る思いがしています。

平成21年3月8日 山谷えり子

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