2005年度活動報告

参議院 外交防衛委員会
平成17年6月2日(木曜日)

- 委員長(林芳正君)
 政府参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。
 外交、防衛等に関する調査のため、本日の委員会に防衛庁防衛参事官大井篤君、防衛庁防衛局長飯原一樹君、外務大臣官房審議官西宮伸一君、外務省北米局長河相周夫君、外務省国際法局長林景一君を政府参考人として出席を求め、その説明を聴取することに御異議ございませんか。
- 山谷えり子君
 自由民主党、山谷えり子でございます。
 ブッシュ大統領は、ヤルタ会談を歴史上最大の誤りと新たな歴史認識を示されました。歴史は、どの時代にさかのぼるか、どの角度から見るかで変わってきます。
 大平首相は、いわゆるA級戦犯が合祀された後、靖国神社を参拝され、昭和五十四年国会答弁で、A級戦犯あるいは大東亜戦争というものに対する審判は歴史がいたすであろうと言われております。
 戦後六十年たってもまだやけどするほどに熱く難しい問題ではありますが、中国の反日デモ、そして歴史認識を日本の国連安保理常任理事国入り問題にまで絡められている現在、真の日中友好のために、国際社会の中で日本が正しく理解されるために、反省の心を大切に、ここで一度、日本の立場の説明が大切であると考えます。
 国立国会図書館調査室が先ごろ十数か国の論調を分析していますが、誤解が非常に多いと感じました。小泉総理は、靖国参拝のたびに過去を反省し、平和への決意を新たにしておられます。しかし、五月六日付けニューヨーク・タイムズは、靖国神社は日本の戦争犯罪人のトップが祭られ、日本のアジア征服が祝われていると、とんでもないことが書かれ、ウォール・ストリート・ジャーナルの論説委員は、私個人は戦没者慰霊の場と知っているが、多くのアメリカ人は靖国神社が戦犯のシンボルと思っていると語っています。世界に誤解が広がっております。
 日本国内も世論が分裂しています。これは事実を押さえ切れていないという面も大きいというふうに考えます。信仰の在り方、靖国神社に祭られたみたまを分祀できるのか、御遺骨があって分骨できるように思っておられる方もおられます。また、二百四十六万六千余柱の御祭神はどのように祭られているのか説明できない日本人も多いのではないでしょうか。
 そこで、参考人として、学者、神職、海外のジャーナリストなどをこの委員会にお呼びして、一度事実確認をし、神道とは何か、分祀とは何かなどを整理してはいかがかと思いますが、いかがでございましょうか。
- 委員長(林芳正君)
 ただいまの件につきましては、後刻理事会で協議いたします。
- 山谷えり子君
 日本人が理解を深めていかないと中国が誤解するのも無理もありません。真の日中友好のために誤解を正すために国内の思いをまとめていく作業が大事ではないかと思いますが、外務大臣、この辺りの御所見をお伺いしたいと思います。
- 国務大臣(町村信孝君)
 ちょっと何を今お問い合わせになられたのか、ちょっと必ずしもはっきりいたしませんので、ちょっとお答えに窮するのでございます。申し訳ありません。
- 山谷えり子君
 国内世論が分裂しているのは事実認識においてかなり幅があるというか、事実認識の、まあ戦後六十年たっておりますので、確認が、それぞれの認識がばらばらであるという、それを、事実を整理していく必要があるのではないかという質問でございます。
- 国務大臣(町村信孝君)
 何に関する事実認識がばらばらなのか、ちょっと今のお尋ねでもよく分からないのでありますが。
 戦争中のこと、終戦のときのこと、戦後のもろもろのいろいろなことについて、確かにいろいろな見方、解釈というものがあるのは事実かなとは思います。
- 山谷えり子君
 ありがとうございました。
 五月七日の日中外相会談で、町村大臣は、北京抗日記念館や南京虐殺記念館に事実でない写真が展示してある問題で意見交換をしてくださいました。外相会談の場でこうしたやり取りは初めてと思います。多くの国民が真の日中友好のために事実でないものの取り外しを願っている中、ありがとうございました。今後とも更に進展していくことを期待します。
 先日、九十二歳になられる昭和十二年南京で従軍されておられた方から当時の様子をお聞きする機会がありました。南京入城後、十二月二十四日ごろまでその方はいらしたのですが、町は平穏で、印鑑を作ってもらったと、今でもその印鑑を大切にしておられます。
 日本では南京事件については果てしない論争が繰り広げられております。犠牲者二十万人と言う方もいれば、限りなくゼロと言う学者もおられます。
 中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感するという日本側の声明と、おわびの気持ちを日本国民は深く持っております。そしてまた、昭和十二年、十三年に南京におられた方々が真実を求める行動を続けておられるということも事実でございます。
 混乱にはいろいろな資料の提出等々の問題もあるかと思いますが、外務省は、事件発生当時の一次資料、それから時間的に遅れるが事件発生現場で作られた関係者の記録、二次資料はどのように、どう保存していらっしゃいますか。
- 政府参考人(西宮伸一君)
 御指摘の在上海総領事館、広田外務大臣当時のことでございますが、まず、発出した電報につきましては、外交史料館に保存されております簿冊、支那事変関係、これ、原語が支那事変と書いてありますのでそのように申し上げますが、支那事変関係百六十三冊ございまして、すべて公開済みでございます。この中にいろんなものが含まれている可能性がございます。
 このうち、外交史料館にて昭和十二年十二月十三日から翌昭和十三年二月末までの資料につきまして調査をいたしましたところ、南京駐在のドイツ及びアメリカ等の第三国の大使館の被害の状況、それからこうした被害に対する対処方針、それから第三国船舶の揚子江航行の許可に関するものなど、計十二件が今の申し上げた十二年十二月十三日から十三年二月末までの資料に含まれておりました。それから、南京入城当時、すなわち昭和十二年の十二月十三日に作成されたいわゆる南京事件に関する資料及び翌日以降に現地において作成された関連資料につきまして、同じく支那事変関係、先ほど申し上げました百六十三冊につき調査いたしましたけれども、これに該当する資料は確認されておらないわけでございます。
 なお、外務省と上海総領事館との間のやり取りの電報は、保存されている限りにおいてはすべて外交史料館で公開されておりますが、戦時中の資料でございまして、消失した、消失したものもかなりあるのではないのかというふうに推測しております。
- 山谷えり子君
 先月五月、先日の五月十八日、百人斬り裁判の最終口頭弁論が行われました。裁判の争点は百人斬りがあったか否かということでございます。平成十六年七月十二日には、百人斬りをしたとされる二人の少尉と話をした佐藤振壽カメラマンが証人として出廷されました。両少尉の写真を撮り、自分の撮った写真が百人斬りの証拠写真とされて南京大虐殺館などに展示されているのは耐えられない、九十一歳、車いすに乗って百人斬りはうそと証言をされました。
 防衛庁、南京入城のときの松井大将は参謀本部との間でどのような連絡を取っていたのか、そのような、それ周辺の資料というのはどのように保存されてますか。
- 政府参考人(飯原一樹君)
 防衛庁、包括的に旧軍の資料を承継したということではございませんが、様々な経緯で旧軍の資料を所有しているという事実はございますが、御指摘の松井大将と参謀本部との間でいかなる連絡を取ったかということを示す、直接に示す資料は所蔵しておりません。
- 山谷えり子君
 海外では何だかホロコーストのようなことがあったというような書き方もされているわけですが、そういったような組織的な何かというのが資料として見付かりましたでしょうか、意図が。
- 政府参考人(飯原一樹君)
 私ども、先ほど申し上げたところでございますが、旧軍の行為について包括的に判断をするという立場にないわけでございますが、まあこの辺りの資料を検索いたしますと、例えば、昭和十二年十一月三十日付けの南京攻略に関する意見送付の件、丁集団参謀長発次官あてとか、中支派遣軍司令部南京移駐の件、伊集団参謀長発次官あての電報とかいったようなものもございますが、もし御要請があれば個別にお示しすることは可能でございます。
- 山谷えり子君
 一九五一年五月三日、マッカーサーは、米国上院の軍事外交合同委員会の聴聞会で、日本が戦争に駆り立てられた動機は大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったと証言しております。外務大臣は、このマッカーサーの発言をどのようにお受け止めでございましょうか。
- 政府参考人(河相周夫君)
 今御指摘のございました件でございますが、昭和二十六年、一九五一年五月三日、米国の上院外交軍事合同委員会で公聴会がございまして、そこでマッカーサー元帥は、日本が戦争を開始した目的は安全保障によりおおむね説明されるという旨の発言を行ったというふうに承知をしております。
 マッカーサー元帥は、御存じのとおり、連合国最高司令官であったわけでございますので、同元帥からこのような発言をされたということはそれなりに注目に値するというふうには考えておるわけでございますけれども、いずれにいたしましても、米国議会の公聴会での発言でもございまして、我が国として具体的にこれをコメントする立場にはないというふうに考えております。
- 山谷えり子君
 東京裁判、そして各国で行われた戦争犯罪者を裁く裁判は、不当な事実認定もこれあり、十分な弁護権も陳述権も保障されず、罪刑法定主義を無視した、近代国家の裁判とは言えないものではなかったかと多くの国民が考えているのも事実でございます。一九九八年成立した国際刑事裁判所設立条約では、平和に対する罪と同様の犯罪を条約にまとめることができませんでした。しかし、それはそれとして、日本はこの裁判で九百九十名の方が命をささげられました。
 我が国は、昭和二十六年、東京裁判、そして各国で行われた戦争犯罪者を裁く裁判を受け入れ、サンフランシスコ講和条約を締結、平和条約十一条において日本国が戦争裁判を受諾し、その意味で再審はできません。しかし、また今、様々な経緯と情報公開によって、何とか主体的再審を行えないか、歴史解釈権を取り戻して平和外交をしたいという国民の声もまたあるわけでございます。
 日本は東京裁判の判決を受け入れましたが、英文の「ジャパン アクセプツ ザ ジャッジメンツ」の、法律用語ではこれは判決の意味で、フランス語、スペイン語においても、この単語の意味、言語学的には裁判ではなく判決と読めるそうでございます。
 日本は裁判の判決を受け入れていますが、日本側共同謀議説などの判決理由、東京裁判史観を正当なものとして受け入れたのか、また、罪刑法定主義を無視し、今日でも概念が国際的に決まらない平和に対する罪で裁かれたことを受け入れたのか、国民の間に混乱があると思いますが、分かりやすく御説明ください。
- 政府参考人(林景一君)
 お答えいたします。
 先生も今御指摘のとおり、サンフランシスコ平和条約第十一条によりまして、我が国は極東国際軍事裁判所その他各国で行われました軍事裁判につきまして、そのジャッジメントを受諾しておるわけでございます。
 このジャッジメントの訳語につきまして、裁判というのが適当ではないんではないかというような御指摘かとも思いますけれども、これは裁判という訳語が正文に準ずるものとして締約国の間で承認されておりますので、これはそういうものとして受け止めるしかないかと思います。
 ただ、重要なことはそのジャッジメントというものの中身でございまして、これは実際、裁判の結論におきまして、ウェッブ裁判長の方からこのジャッジメントを読み上げる、このジャッジ、正にそのジャッジメントを受け入れたということでございますけれども、そのジャッジメントの内容となる文書、これは、従来から申し上げておりますとおり、裁判所の設立、あるいは審理、あるいはその根拠、管轄権の問題、あるいはその様々なこの訴因のもとになります事実認識、それから起訴状の訴因についての認定、それから判定、いわゆるバーディクトと英語で言いますけれども、あるいはその刑の宣告でありますセンテンス、そのすべてが含まれているというふうに考えております。
 したがって、私どもといたしましては、我が国は、この受諾ということによりまして、その個々の事実認識等につきまして積極的にこれを肯定、あるいは積極的に評価するという立場に立つかどうかということは別にいたしまして、少なくともこの裁判について不法、不当なものとして異議を述べる立場にはないというのが従来から一貫して申し上げていることでございます。
- 山谷えり子君
 主権回復後、当時の法務総裁は、軍事裁判による刑と国内法のそれとは違う旨の通達を各省庁に出しました。町では、平和条約発効直後より戦犯者釈放の国民運動が全国規模で展開、毎日新聞記事には二千万人署名とあり、最終的には四千万人の署名が集まったと共同通信社特信局編成部長が後に書かれております。
 こうして、国会で釈放の決議、赦免決議、恩給法の改正など次々と可決して、名誉回復、援護法、恩給法の対象にしています。参議院の戦犯在所者の釈放等に関する決議可決の際には、戦争の責任は全国民がひとしく負うべきものでありましょう、歴史上比類なき戦争犯罪者として勝者が敗者を裁くという不合理性という発言に拍手が起きています。国民みんなが苦しみから立ち直ろうという雰囲気がひしひしと伝わってくる議事録でございます。
 ところで、日本無罪論を主張したインドのパール判事の論文は有名ですが、今年、インドで小泉首相はこのことに言及され、感謝の言葉を述べられました。東京裁判でのパール判事の真摯な姿勢は今日も多くの日本人の心に刻まれております。
 外務大臣、この小泉総理のやり取り、またパール判事のお話を世界に向けて話し続けること、あるいはまた、インドでパール判事のなさったことについて日本とインドの学者、そして国際法学者を交えてシンポジウムを開いたらどうかというふうに考えますが、いかがでございましょうか。
- 国務大臣(町村信孝君)
 パール判事の、全員無罪を主張する反対意見書を出されたということ、これは大変日本にとって大きな希望とか勇気を与えるというようなものであったという意味で、日本人に大変、インドに対する気持ちというものが大変ここで熱いものになったという認識は今日までも続いているんだろうと、私もそう思っております。そういう意味で、この四月に小泉首相がインドを訪問されましてこのパール判事のことなどを言及をされたというのは、日本とインドの言わば友好関係のきずなというものを再確認するという意味で大変印象深いことであったと、こう思っております。
 パール判事のそうした発言、行動についていろんな方々がいろいろな形で意見を述べる、あるいはシンポジウムを開く、それは政府が主催をするという話ではなかろうかと思いますが、民間の方々がそういうことをなさることは、それはそれで意味のあることだろうと、こう思っております。
- 山谷えり子君
 事実を確認し、世界に向けて発信することが大切と思います。また、隣国中国との真の友好関係は大切です。
 私は、中国と文化交流、私が書きました小説がテレビ小説になって中国で放映されているということもございますし、また青少年との交流プログラムの充実のためにこれまでも働いてまいりまして、これからも働いていきたいと考えるものでございます。
 外務省の交流基金プログラムの有効な展開に期待いたしますけれども、交流基金のプログラムの展開状況、ビジョンをお聞かせいただければと思います。
- 政府参考人(西宮伸一君)
 日中間の様々な形での人的交流についてはいろんな数字があると思いますけれども、正に将来を担う若手、青少年の交流というものにつきましても様々なプログラムを展開しているところでございまして、外務省自身もいろんな形で各地方の中堅指導者なども招聘して日本の実情の理解にも役立てようということで積極的に展開しておるわけでございます。
 新たな日中交流の基金をつくろうということが、新二十一世紀委員会の中間提言だったかと思いますけれども、言われておりまして、これにつきまして中国側も基金にお金を出すということが私の記憶では初めて提案されているようでございまして、先般の日中外相会談も含めまして、中国側もこういった日中交流に資する基金につきまして今検討しているということでございまして、我々も、これをにらみつつ我々も検討いたしまして、是非、そういった基金も含めましていろんな形での日中間の交流、特に青少年の交流というものに心掛けてまいりたいと存じます。
- 山谷えり子君
 時間が来ましたので終わります。ありがとうございました。

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