2011年1月21日
「グスコーブドリの伝記」

宮沢賢治の小説に「グスコーブドリの伝記」という作品があります。
お話の内容はこうです。

イーハトーヴ(賢治は最初、ドリームランドとしての岩手県をイーハトヴと名付けたのでした)の森の中に名高い木こりの息子として生まれたグスコーブドリはネリという妹と幸せに暮らしていたのですが、ブドリが10才、ネリが7才の時に、村は2年続けて飢饉となります。
ある日、お父さんは「森へ行って遊んでくるぞ」とよろよろと家を出て帰りません。
次の夜にはお母さんも「お父さんを探しに行くから戸棚の粉を二人で少しづつ食べなさい」と言って、やはりよろよろと家を出て、帰って来ないまま20日ばかりが過ぎます。
ある日、目の鋭い男がやってきて妹は連れ去られ、ブドリも工場に連れて行かれ働かされます。冷たい大人たちの仕打ちに耐えながら月日がたち、頭の良い働き者のブドリはその後、イーハトーヴ火山局で働くことになります。妹のネリともひょんなことから再会し、両親の死も知ります。
ブドリ27才の時、気候は寒く凶作が心配される中、ブドリは火山と気象の研究から炭酸ガスを空気中に増やして気候を暖かくしようと考えます。人工的に火山を爆発させて地球の気温を5度ほど上げようと考えるのです。しかしそのためには爆発を誘導操作するためにどうしても最後の一人は死ななければなりません。
ブドリは自分がその一人になると志願して計画を進めます。周囲が反対しても決心を変えません。
次の日、イーハトーヴの人々は青空の色が変わるのを見ることとなり、3日後には気候が暖かくなり、秋には村に幸せな実りの日々がやってきます。
このお話の最後を宮沢賢治は「たくさんのブドリのお父さんやお母さんは、たくさんのブドリやネリと一緒にその冬を温かいたべものと明るい薪で楽しく暮らすことができたのでした」と結びます。

苦しみは一人でよし、皆幸せにあれ、との絶唱が聞こえるようです。

宮沢賢治、岩手県花巻生まれ、盛岡高等農林学校卒、日蓮宗徒。
一般には童話作家として知られていますが、農民の生活向上を目指して働き続け、過労で36才で亡くなるまで、宮沢賢治は祈りと行動の人でした。
「グスコーブドリの伝記」は棟方志功のさし絵で、賢治が亡くなる前年の昭和7年3月に「児童文学」に発表。
その翌年の昭和8年、病状悪化。そんな中でも夜遅くまで農民の肥料相談に応じ、
9月21日午後1時半、法華経1000部を印刷して友人らに配るようにしてほしいと遺言して死亡。
二酸化炭素と温暖化のことをはじめ、祈ることを、献身を、すべての人々が家族であることをこのお話を読みつつ、改めて(昔読んだにも関わらず)賢治の祈りに泣きました。