朝7:30 釜石へ「けっぱれ岩手」のスローガンや、「日本の底力を示そう」「救援隊ご苦労さま」「ひとつになろう」「ありがとう日本」などの旗や書き込みがあります。街はうず高いガレキです。ご遺体のある所には赤い旗、自衛隊の方々が黙々と働いておられます。井上ひさしさんの吉里吉里国、ひょっこりひょうたん島のモデルとなった島が悲しみを誘います。9:00 山田町 八幡宮お宮の前で火が止まっていましたが、街は津波と火災で臭いがします。11:00 大槌町 小槌神社こちらもお宮の前で火が止まっていましたが、氏子さんの多くが亡くなられています。神社は今も避難所に。お話を聞きましたが「方向性が出ていないので、まだ動けない状態。それでも気心知れた人たちとこうして暮らせるのは有り難いです。」とのこと。大槌町では町長も亡くなられており、ガレキの撤去が遅れています。12:00 大船渡13:00 住田町多田町長とお会いし、地元の杉材を使って作っている仮設住宅について意見交換。今月中に110棟ほど建てようと計画を進めています。すでに着工された場所に案内していただきました。一棟約250万円(プレハブの場合350万円くらい)、半日で組み立てられ、戸建てなのでプライバシーが保てます。全国で有名な気仙大工の手もあります。仮設としての利用が終わったら我が家にしたいという人もいる立派な建物。四畳半2間に、台所、風呂、トイレ、ダイニングです。多田町長は「東北を林業の町にしたい。需要をこの際、まとまった形で作っていきたい。世界の災害にあった地にも住田の杉の仮設住宅を広げたい。」と意欲的です。遺体安置所スポーツセンターに棺が並べられ、花と焼香。14:46 黙とう。地震から2カ月目の時を遺体安置所でむかえ、鎮魂の祈りを捧げました。16:00 陸前高田市海辺に陸前高田のど根性松が一本立っています。マスコミでも有名になった松、塩害から守る手当てがされています。陸前高田市役所でごあいさつ。マスコミの姿も多数。17:00 今泉天満宮お宮は流されてしまいましたが、千年杉がすっくと立っています。京都から重機をもってやって来られた庭師の方が「この千年杉はご神木、何としても守るために来ました。」阪神大震災の時も木々を助けられた皆さんです。感謝。消防団の方よりお話をうかがいました。「行方不明者の捜索を行い、ご遺体は毛布でくるんで4人で運び、軽トラでお運びしました。少年野球チームのコーチをしていたので、子供のご遺体を見るたびに“もしかしたらあの子じゃないか”とドキドキしました。知人もたくさん亡くなっていて、本当につらい毎日。今も捜索は続けられています。」18:00 月山神社研修道場避難所になっており、初めの頃は一人座布団一枚くらいのスペースしかなく、横になることも出来ないほどであったとか。女性達は「おいしいものを出来るだけ食べていただきたい。そうすれば笑顔が出るから・・・。」私もかまどのまきでお湯を沸かしているところで竹筒で吹いて火おこしのをさせていただきましたが、なかなかうまくいきません。女性達の笑顔に頭が下がります。子供達は元気、「海から津波が盛り上がってきたよ。友達で転校した子もいる。さびしい。でも二つの学校が合同で授業しているから、新しい友達も出来たの。」と教えてくれました。18:30 陸前高田市 戸羽市長と街の復興構想について3時間以上話しました。「世界に誇れる陸前高田市を10年かけて作ります。桜を植え、企業誘致をし、教育と福祉に力を入れる。今、いろいろな企業の方とも会っています。」4日前には復興構想会議の五百旗頭議長が陸前高田市を訪ね、津波で壊滅的な被害を受けた地域を国が買い上げるなどして活用する案も有力な選択肢との考えを示し「国の買い上げ、借り上げなしには済まない。」と発言されています。国と県と市がどう役割を果たして行くか、早く方向性を出さねばなりません。40代半ばの戸羽市長は、奥さまを津波で亡くされました。津波は市役所の4階にまで達し、職員は屋上で濡れながら、膝をかかえて寄り添って一晩過ごしたといいます。「目の前を人が“助けて”と流されていく。しかし何も出来ない。やりきれなさでいっぱいでした。妻の最期の姿は2人の子に見せていません。妻は会いたかったかも知れませんが・・・。」深い苦悩の中、凛とした市長の姿。ビジョンを語り、市民を幸せにしなければ、との使命感にあふれておられます。力強いトップの姿です。電気がまだ来ていない月山神社研修道場。懐中電灯をつけてトイレに行きます。星が海を照らします。「美しいふるさとと思っていましたが、被災してこんなにもふるさとが好きだったんだと尚一層の思いです。」宮司のお孫さんが言われました。