2011年9月17日
りんご

陸前高田市にガレキ処理作業に行っていた息子が帰ってきました。
長靴の底に鉄板をつけ、大きなゴーグルとマスクで、朝の5時半起床、7時に宿舎を出かけて夜9時に帰るという生活で、時には太ももまでヘドロにつかって、海岸沿いのガレキや家々のヘドロを片付けてきたそうです。
震災から6カ月の9月11日は、仮設住宅から家の様子を見に戻られた方もいて、息子は様々な家族を失った人々の悲しみを目の当たりにしたということです。
丘の上のりんご園で働いていた女性は、夫、両親、子供達が津波にのまれていく姿を目にしたと言います。
帰京する息子に“みやげに持って行って”とバケツにりんごを入れて渡してくれました。
息子はその傷ついたりんごを大切に持ち帰り、私は夫の遺影に供えました。

息子が陸前高田で撮影した写真を見ると、地盤沈下で4カ月前に私が訪ねた時よりもひどい状態の場所があります。
一日も早い復旧復興に向けて協力し合っていかなければなりません。