2011年11月5日
拉致、特定失踪者問題の早期解決を

敦賀
「敦賀ムゼウム」
1940年、ナチスの魔手から逃れるためユダヤ人がリトアニアの日本総領事館に押し寄せました。
これにより、約6000人がシベリア鉄道でウラジオストクに入り敦賀港に向かいます。
敦賀の港を見てユダヤの人々は「楽園のよう」「差別がない。人々は親切で自由に町を歩くことができた」などその後証言をしています。
敦賀の人々はユダヤの人々のために銭湯を無料開放したり、果物かごを置いて自由に食べられるようにしたり、食事をさしあげたりしました。それらのことが港の資料館に残っています。
来年は日本・イスラエル外交関係樹立60周年。
日本・イスラエル友好議連メンバーとして、イスラエルと敦賀でイベントを考えています。

小浜
「拉致、特定失踪者問題の早期解決を願う集会」
多くの特定失踪者のご家族、拉致の疑いが濃厚とされる方々のご家族からお話をうかがいました。
政府、警察はもっとよく調査すべきといつも思います。
パネルディスカッションを行い、要望書をいただきました。(写真)

福井
小学校1年から4年まで同じクラスだった「すずかけ会」
1クラス50数名のクラスでしたが、1年おきにクラス会を開き、今回も30名ほど出席。
河原ジュン先生という恩師のおかげです。
両親の介護や、子や孫の話。
自分たちはまだいいが、今後の日本どうなるの?・・・と。
「えりちゃん、大変やろうけど頑張ってや」と励ましを受けました。