2011年11月12日
大分

宇佐神宮 七五三の家族がいっぱい。
喜びの風景にあふれる中、国家安泰、御皇室の弥栄を祈りました。
かつて道鏡がよからぬことを画策し、皇統の危機にみまわれた時、和気清麻呂がご神託を仰いだのが宇佐神宮です。

山頭火は昭和4年、宇佐神宮にお参りした時、萩原井泉水に11月26日に手紙を送っています。
「宇佐神宮は尊いところでありました。おのづから頭が下がりました。昨夜は山家に泊まりまして、ひとりでしんみりしました。今日はしぐれる岩山を四つ越えました。」
松から朝日が赤い大鳥居(山頭火)

その後、タクシーを30分ほど走らせて、大相撲の第35代横綱 双葉山の生家を訪ねました。
今年は双葉山生誕100年。69連勝で敗れたものの圧倒的な連勝は白鵬も越えられませんでした。
「稽古は本場所のごとく、本場所は稽古のごとく」と語り、安芸の海に敗れた時は「われ未だ木鶏たりえず」と記したその生き方に頭が下がります。
「心技体」ではなく「心気体」と話し、最後の土俵を終えたあとは「相撲道は私の生命」と言い、名親方となられました。
当時の取組のビデオが残っていました。美しい美しい横綱相撲の名場面の数々に見入り、感動。
今の相撲と違って、神様に生命、力をお捧げする思いにあふれています。
断髪式の日、奥さまの目に涙の姿も美しく、良き日本を思わせます。
美しい夕暮れの山並みを祈りつつ走り、別府へ。