2012年10月1日
産経抄

 ぽっかり浮かんだ月を眺め、虫の音を聞きながら靖国神社の拝殿に向かう。台風襲来前の一夜、「仲秋の季節御神楽の儀」に参拝する機会があった。神楽笛の澄んだ音色、和琴(わごん)のみやびな調べ、何より巫女(みこ)の一糸乱れぬ舞に目を奪われた。

 ▼神事の後の酒宴を「直会(なおらい)」と呼ぶ。そこで山谷えり子参院議員の母君、和子さん(84)と隣り合わせた。戦時中は加藤隼戦闘隊員として南方を転戦し、戦後はパーソナリティーの草分けとして活躍した夫君の親平さんには、昔取材したことがある。62歳の死は早すぎた。「山あり谷ありでも、シンペエないって言ってたのに」。

 ▼長女の山谷議員は、超党派の「日本の領土を守るため行動する議員連盟」会長として、何度も尖閣諸島に赴いている行動派だ。「何時間も船に揺られて大変ねとねぎらったら、ママが元気な体で生んでくれたおかげ、と言ってくれます」。

 ▼楽しい会話の合間に名刺をいただいた。勤務先は、「とげぬき地蔵尊」の名で知られる東京・巣鴨の高岩寺内にある生活相談所となっている。週に1度、1人暮らしの自宅から、自分で車を運転して「通勤」し、老若男女の相談に乗っているというのだ。「昔は姑(しゅうとめ)さんにいじめられたお嫁さんの悩みが多かったけれど、近頃は逆の相談が多いわね」。

 ▼「英霊にこたえる会」の中條高徳会長は、乾杯のあいさつで、英霊の未亡人について触れた。首相や閣僚による靖国神社の参拝自粛が、どれほど彼女たちの心を傷つけてきたのか。苛烈と形容するしかない、苦難のエピソードとともに訴えると、会場は静まりかえった。

 ▼戦後日本の復興は、元祖「なでしこ」たちの奮闘のおかげだと、改めて思い知った夜だった。

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http://sankei.jp.msn.com/life/news/121001/trd12100103260003-n1.htm