平成15年度活動報告

衆議院文部科学委員会 山谷えり子質疑
平成15年2月25日
 
平成十五年二月二十五日(火曜日)  午前十時開議
文部科学大臣 遠山 敦子君
文部科学副大臣 河村 建夫君
文部科学副大臣 渡海紀三朗君
文部科学大臣政務官 池坊 保子君
文部科学大臣政務官 大野 松茂君
政府参考人
(文部科学省生涯学習政策局長) 近藤 信司君
(文部科学省初等中等教育局長) 矢野 重典君
(文部科学省高等教育局私学部長) 加茂川幸夫君
(厚生労働省職業安定局次長) 三沢  孝君

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-古屋委員長
 これより会議を開きます。
-古屋委員長
 山谷えり子君。
-山谷委員
 保守新党、山谷えり子でございます。
 明治維新、終戦後に続く今日の第三の教育改革は、歴史認識、人間とはどういう存在かという議論、またとりわけ現場で起きていることを通して、深い思索的なものであると同時に現実的なものでなければならないと考えておりますが、大臣は所信において、学校において心に響く道徳教育の充実を挙げておられました。
 平成十年の四月一日の参議院予算委員会の席で、小中学校週一時間ある道徳教育がきちんとなされていないという指摘を受けて、当時の町村文部大臣が、やり方も検討し、指導を行う根拠になるような調査をしたいと言われました。しかしながら、その調査結果、ちょっと私が見たところでは、広島県内だけでしかなされていないのではないかというような印象があるんですが、その後、全国の実態調査などはなされたのでございましょうか。
-矢野政府参考人
 道徳の時間の実施状況あるいは教材の活用の実施状況等につきましては、これまでも定期的に調査をやってきております。近年では、平成五年、またその後平成十年ということで、大体五年間隔で調査をやってきているところでございまして、次は平成十五年度にまた同じようなたぐいの調査を行う予定でございます。
 御指摘の広島県につきましては、道徳教育につきましても指導を行ってきておるところでございまして、また、他の都道府県につきましては適宜指導を行ってきているところでございます。
-山谷委員
 「道徳」が「人権」に変わっていたり、あるいは「M」、これはモラルという意味の「M」らしいんですけれども、「M」とか「人権」に変わっていたのが広島県内だけで四十三校あるとか、また最近では、平成十五年二月二十日の新聞なんですけれども、小学校一年生に過激な性教育を府中市でしていた。それが道徳の時間を使われていまして、余りにも過激で逸脱したものであったがゆえに、保護者が怒り、校長が謝罪をしたというようなことがございました。こういう、道徳教育の中で本当に中身がかなり逸脱しているというような現状を御存じでございましょうか。
-矢野政府参考人
 今申し上げましたように、全国的な調査といたしましては、どれだけの時間で道徳を実施しているとか、あるいはどのような教材を活用しているとか、あるいはどのような人材の活用であるとかといったような道徳の全体的な状況については、私どもも調査をいたしているところでございますが、個々の、各学校における、また各授業における道徳の実態調査ということまでについては行っていないところでございまして、それは、各学校において、校長の指導監督のもと、学習指導要領に基づいて当然適切に指導がなされるべきものであるというふうに考えているところでございます。
-山谷委員
 例えば、過激な性教育の場合には、きょう受けた授業について、保護者に、親に話さないようにというようなことを学校の現場で教えたり、かなり逸脱が進んでおります。
 私、きょう資料として、きのう書きましたコラム、一般紙に書きましたコラムを出させていただいているんですが、先月の警察庁発表調査では、セックスで小遣いをもらうこと、中高校生ですね、四四・八%が本人の自由と答えている。今、自己決定能力が十分でない小学生、中学生にまで性の自己決定権を教えている、これにかなり道徳の授業、時間が使われております。中学生、高校生からは、援助交際を体験した子などは、心に傷が残っていますとか、そのときはラッキーと思っても必ず後悔するときが来るなんという声が挙げられているんですね。
 今の教育は、自己決定、それから個というものが大事だ、自由というものを非常に強調しているわけでございますけれども、心のノートなどというのが道徳の時間に使われている、あるいは使うようにというような指導があるわけでございます。
写真:山谷えり子質疑 日教組の第五十二次教育研究全国集会報告書の中に、心のノートをこう読むというふうなペーパーがございまして、家族について、「「家族のために、家族の一員として何ができるか」と家族のための自分が強調されていく。家族愛、郷土愛が、巧みに愛国心へと誘導され、ナショナリズムの流れとなる。」とか、日本らしさについては、「「ここがあなたのふるさと」となり、「あなたは日本の伝統や文化の頼りになる後継者である」と言い切る。もはや外国人の姿はどこにもない。もちろん外国籍児童や在日朝鮮人、中国人など存在もしないかのようである。」「「日本に住む者はみんな日本人で日本人なら日本人らしくこうあらねばならない」ということが貫かれている。」「この本に「共生」の視点はなく、むしろ「分ける」こと、その結果「排除」や「無視」や「優越感」ができ、同時に「劣等感」や「疎外感」を生む危険性が充分ある。」というふうに書いてあって、「「心のノート」の特徴」「よい子の概念を示し、それに合わせよとソフトにさとす「心のノート」」「マインドコントロール本「心のノート」」というふうになっております。
 「文部科学省が一方的に編集作成した事実上の国定教科書であり、上意下達で配布したことも国定教科書的である。」「教育内容への不当な介入をしたことになり、教育基本法第十条に違反している。 また、教育基本法一条、二条の教育の目的や主体的学習の転換要請からもはずれるし、個の内面的価値のありようには立ち入ることは出来ず、宗教的情操の涵養を盛り込むことは教育基本法第九条からも許されない。もちろん、個人の尊厳を重んじる教育基本法の精神や人の思想、良心、信教、学問の自由をうたった憲法への介入でもあり、許されていいはずがない。」というふうにありますけれども、このような心のノートの読み方というものの報告書、御存じでございましたでしょうか。
-矢野政府参考人
 まことに申しわけございませんが、先ほど資料をいただいて、先ほど拝見したばかりでございます。それまでは承知いたしておりませんでした。
 ただ、この際でございますから、私ども改めて申し上げたいと思うわけでございますが、心のノートは、児童生徒が身につける道徳の内容を児童生徒にわかりやすくあらわし、道徳的価値についてみずから考えるきっかけとなるように文部科学省において作成した道徳教育のための教材であるわけでございます。
 この心のノートのそれぞれの内容につきましては、これは、教育基本法、また学校教育法の趣旨に沿って作成されました学習指導要領の内容を踏まえて作成したものでございまして、したがいまして、先ほど委員が御紹介になりました教育基本法の各条項、第一条、第二条、第九条でしたか、教育基本法の各条項を御紹介されましたが、私ども、教育基本法のいずれの条項にも反するものではなくて、先ほど御紹介があった指摘は私ども全く当を得ていないものというふうに考えているものでございます。
-山谷委員
 私もそう考えるものでございますけれども、これは大臣、文科省と日教組の関係、まずいんじゃないでしょうか。教育現場がこのような形で混乱している、そうすると子供たちが翻弄されるわけでございますから、今のやりとりをお聞きになられまして、どんな御感想をお持ちでございましょうか。
-遠山国務大臣
 学校教育を通じて子供たちに確かな学力とともに豊かな心をしっかりと身につけさせるというのが、私は教育の役割だと思います。その教育を担う教員が、本当にその豊かな心をどのようにしたら子供たちに育てることができるかということを常に考え、そして最良の方法を使って私はやってもらいたいと思っております。その意味で、心のノートというのは、昨年四月にすべての子供たちの手に届くように配付したところでございますが、あそこに書かれているものは、私は、その豊かな心というものを子供たちに育てる点で大変重要な事柄ばかりだと思っております。
 その意味におきまして、すべての教員の方もあれを活用し、また子供たちにもよく読ませ、そして親御さんにもそういう教育を学校がしているということをしっかりと連絡をしていただいて、大人がそういう豊かな心を、これにはさまざまな要点があると思いますけれども、そういったことについていろいろな英知を集めてつくったものでございまして、あれを一つのツールとして活用するとともに、より大切なことは、私は、教員なり親なり地域社会の大人たちが、本当に人間として立派に生きていく、そのことの大切さ、それにはどういう要素があるかということを常々考えながら、あらゆる場面で子供たちにそのような生き方を示し、かつまた導いていく、そういう精神が教育の根本に必要ではないかと考えます。
-山谷委員
 心のノートの使い方も含めて、やはり、道徳教育というのは一体何だろうかということを、お互いに問題意識を共有化していった方がいいというふうに思っております。
 教育基本法のことにもこちらで言及されているわけでございますが、教育基本法の改正中間報告の中に、伝統、文化、国を愛する心、家庭の教育力の回復、生涯学習社会の実現などの視点が挙げられておりますけれども、宗教に関することについては今後の検討課題としております。
 教育改革国民会議の報告書は「宗教を人間の実存的な深みに関わるものとして捉え、宗教が長い年月を通じて蓄積してきた人間理解、人格陶冶の方策について、もっと教育の中で考え、宗教的な情操を育むという視点から議論する必要がある。」と強調しておりまして、私も同じような考えを持つものでございますけれども、公聴会の中で宗教者がこのようなことを言ったことが、私は非常に興味深く感じております。
 「宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。」とあるわけですが、日本の宗教に関する基本的知識及び理解は、教育上これを重視しなければならないと改正されますよう御提案申し上げますという意見の方でございます。
 人格の完成は普遍的なものであるから、今後も大切にしていく必要があると中教審は主張している。しかし、道徳教育どまりで、どのように人格の完成を目指すのでしょうか。道徳と宗教はおのずから異なると言われております。道徳の場では、人間の良心を基礎に考えます。宗教の立場では、特に仏教では、事実を事実として素直に受け入れることのできない人間、むさぼり、怒り、愚痴の心は底が知れず、善と知っても善に赴かず、悪と知っても悪を退け得ない人間の現実を考えます。良心があるとするなら、その良心に沿った生き方をするよう努力すればいいでしょう。しかし、それができない人間の果てしない迷妄があるから、それを見詰めていくのが宗教的な立場からの見方だ。
 私もこれは非常に重い提案だと思いますね。ついていると思います。親鸞上人なんかは、善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をやと、それからキリスト教も、罪人を招かれるためにイエスは来られたというわけでございますね。
 人間をどうとらえるか。良心でとらえられるならばそれは道徳教育でいいだろう、しかし、そうではないのが人間ではないか、だからこその宗教ではないかということでございますけれども、これについては教育基本法の第九条、「宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。」また二項で、「国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。」それから、憲法二十条にもいろいろな規定がございますので、その絡みがあるんだとは思いますが、大臣は、この宗教者の公聴会での発言をどうお考え、お感じになられましたでしょうか。
-遠山国務大臣
写真:遠山国務大臣 公聴会でいろいろな方がいろいろな角度から御意見を言っていただいたということは、大変貴重だと思っております。今お読み上げいただいた方も、一つの信念に基づいて、しっかりしたお考えだと思います。

 公今、昨年十一月に取りまとめられました中央教育審議会の中間報告におきまして、宗教に関する教育につきましては「国際化の時代に様々な宗教について学ぶことは異文化理解の観点から大切である」などの意見がございまして、宗教一般に関する教育を行うことの重要性が指摘されているところでございます。

 しかしながら、具体的にいかなる場でどのような内容の宗教に関する教育を行うべきかにつきましては、今の御意見もございますように、さまざまな意見が出されておりまして、意見が集約されるに至っておりません。引き続き検討していくこととされているところでございます。私としては、ぜひともこの面について英知を集めて御議論をいただきたいなと思っているところでございます。
-山谷委員
 宗教的情操というのは教育の柱でございます。ドストエフスキーは、もし神がなければすべて許されると言いましたけれども、物質中心主義で宗教を軽く考えていては、心の教育の一番大事なところに手が届かないというふうに考えております。
 教育現場では、私が平成十三年の十月三十一日のこの文部科学委員会でいろいろ問題提起させていただきましたが、例えば、富山のあの学校では、合掌、いただきますというそのあいさつもできなくなってしまっている、あるいは運動会で子供たちが手づくりでやったおみこしを応援合戦で使おうとしたら、それも宗教行為だというふうに言われてしまう、どうも何かおかしなような解釈が行われているのではないかというふうに思います。
 ドイツなどでは宗教教育を公立学校で義務教育化して、カトリックとかプロテスタントとか倫理とか、それぞれ好きな形で選んでいいよとか、イギリスも義務教育の中で義務化されておりますし、イタリア、オーストラリア、スウェーデン、デンマーク、ポルトガル、ペルー、アイルランド、もう数え切れないくらい多くの国々が義務づけておりますので、日本に合った形で、選択としてもいいでしょうし、あるいは総合学習の時間の中で、いろいろな形があるでしょう。あるいは、学校評議会制度の中で、地域社会等の中でのいろいろなプログラムもあるかもしれません。
 この宗教というものをどのように教育の中で位置づけるか、そして、どのような選択、シミュレーションが可能なのかというのを御検討いただきたいと思いますが、いかがでございましょうか。
-河村副大臣
 先ほど御指摘がありました中教審の公聴会、私もあの現場におりまして、一つの大事な指摘だというふうに受けとめさせていただきました。
 宗教教育の、第九条ですか、あの第二項のつかまえ方が余りにもそちらの方が優先されたような形になっておりまして、第一項の宗教教育を重視しなければいかぬ、これはもっと尊重しよう、こういうことなんですが、これをもっと重視しろという御意見もございますが、そのとおりに読んでいただければいいのでありますが、二項が非常に強調され過ぎたところに、今御指摘のような、宗教をすべて、学校に入ってきたものを全部排除するというような格好になっております。
 自然の受けとめ方、これは宗教でありますから、信仰の自由とか信教の自由、いろいろな問題を含んでおりますけれども、宗教的素養といいますか、それがやはり人間の生きていく上で非常に大事なものだということは、やはり段階を踏んで教育の中に、それでやはり、知識としても教養としても、まず基本的なことは知る必要があろうと思います。
 今、審議会でもその最後の詰めをやっていただいておるところでございますが、その答申が出ましたら、それをしっかり受けとめさせていただきまして、今の教育基本法の見直し等々、宗教教育という項がございますから、それをどういうふうにしてまさにそういうことの重要性をもっと教育の中に位置づけられるか、あるいは、第二項のあのくびきからどういうふうにして離れられるか、真剣に検討してまいりたい、このように考えております。
-山谷委員
 GHQの占領下において制定された教育基本法は、日本側が草案をつくり、伝統や宗教的情操の涵養をめぐっては、アメリカとやりとりがあって削除されました。こうしたやりとりは、二百四十万ページに及ぶさまざまな占領文書の公開によって知られることになったわけでございますけれども、日本側が全く自主的に制定したものでもなく、といって、押しつけられたものでもなかった、部分的に干渉を受けたものであったというような事実も明らかになってきているわけです。
 例えば、伝統を尊重してという字句の削除はGHQによって命じられました。宗教的情操の涵養は教育上これを尊重しなければならない、これも、社会における宗教生活の意義と宗教に対する寛容の態度は教育上これを重視しなければならないというふうに変更されたわけなんです。
 このやりとりの中で、伝統を尊重してというのは、通訳が、再び封建的な世の中に戻ることを意味すると言ったからそういうふうになってしまった、GHQ教育課長補佐が日本人学者とのインタビューの中でそう言っているわけですね。それから、宗教的情操の涵養に関しても、歴史的には神社に頭を下げるといった軍国主義、超国家主義の手段になっていると言われてそういうふうになってしまった。
 こういうような事実とか、さまざまなことを分析しながら、大臣は、所信の中で、教育基本法の見直しについて、国民各層から幅広く御意見を伺いながら、議論を深めているところですというふうにおっしゃいましたけれども、教育現場の混乱とか、それから事実、経緯、さまざまなことを出しながら理解を深め、議論を深めていただきたいと思います。
以上です。

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