特集「支援費制度」は利用者本位か?
−国会議員インタビューNo.30 衆議院議員 山谷えり子− |
市民福祉サポートセンター GOOD NEWS No.36 平成15年5月20日号 |
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生活者の声を国政の場へ |
■井上: |
初めまして。山谷さんはサンケイリビング新聞の編集長としてご活躍でしたが、どのようなきっかけで議員になられたのですか。 |
■山谷: |
父は国会担当の政治部記者でしたが私が中学の時に衆議院議員に立候補しました。家庭では日常的に政治の話をしており、池田隼人、佐藤栄作総理らの演説などを食事の席の話題にするような家庭環境の中で育ったのです。 |
その後、発行部数約900万部のサンケイリビング新聞という生活情報紙の編集に携わっていました。今は「生活者からの発想」を重要視するのはごく当たり前になっていますが、当時はまだそんな視点もなかった時代でした。普通の生活者が政治へのアクセスの仕方もわからないときに、読者の声がどんどん届いていました。例えば保育園に子どもを預け、フルタイムで働いている女性からは保育園は何時から何時までというしばりがあって、利用しづらいという声がありました。ツーウェイのコミュニケーション紙でしたから「使い勝手が悪いのよ」というような声を厚生大臣に伝えるというようなこともありました。 |
介護保険導入のときも「早く制度をスタートしてほしい」という要望、保険料、利用料の決め方、ヘルパーさんにかかわることなど寄せられた読者の声を聞きながら、介護保険制度立ち上げのための準備会から参加していました。読者と国会、つまり立法作業につなぐことをいつの間にかしていたのです。 |
審議会議員にもなりましたが、直接、立法作業に関わらないと読者の声は届かないのではないか、「生活者の声」は国会議員にならないと通らないのではないかと思い始めていたとき、立候補してはどうかという誘いがありました。サンケイリビング新聞の方に迷惑をかけると思いましたが応援してくれました。嵐の中に飛び込むようで躊躇する気持ちもなくはなかったのですが国会議員になったのです。 |
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いろいろな人たちとかかわって |
■井上: |
法律という制度がないといろいろな声が形にならないということですか。 |
■山谷: |
そうです。私が障害を持つ人と関わりを持ったのは、家庭の教育方針でした。常に何か役に立つボランティアをやりなさいといわれて、小学校の頃から毎週土曜日に老人ホームや病院のお掃除をしていました。 |
大学生のときには、国立小児病院の自閉症児の子たちを外に連れ出していろいろな人たちとの交流の機会をずっと作ってきました。自閉症の子どもたちと一緒に散歩していると何気ないところで感激したり、怒ったりしますのでいろいろなことに気づかされました。 |
父が選挙で落選したということもあって、母も過労が重なり一時期、失明しました。薬害による障害者なのです。だから何かに役立ちたいという気持ちが強いのです。母も障害をもつようになったときに、より濃厚な人生を送りたいという気持ちが強くなって、40歳過ぎてから大学に通い資格をとって、今、75歳で働いています。そんな母の生きる姿勢から学ぶことがいっぱいありました。 |
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日本にもノーマライゼーションの視点 |
■山谷: |
ベトナム戦争後、アメリカにしばらくおりましたが、帰還者の中には車椅子を利用している人もいました。彼らのために大学での生涯学習システム、道路の整備などいろいろなことにチャレンジできるように急速に整備が進んだ時代でした。 |
日本に帰ってくると、道路には段差があり、邪魔にされたりと母が生きにくそうにしていました。私も年子で3人子どもを産みました。通勤は大変でお腹に赤ちゃん、ひとりをおんぶし、ひとりを急かしながら歩かせたりしましたが、周りの人はいたわってくれるどころか、子どもは突き飛ばされてしまうのが日本でした。グランドキャニオンの谷底に虫ピンで止められた昆虫みたいな感じで、世の中ってなんて冷たいのだろうとずっと思っていました。 |
それでも少しずつ日本にもノーマライゼイション、共に生きるという視点ができました。サンケイリビング在職のとき東京都が設置した「福祉の町づくり委員会」の委員でしたが、目の不自由な方、いろいろな障害者団体の責任者が参加されていました。目の不自由な人たちからは「点字ブロック」設置の要望がありましたが、足の不自由な人にとっては不便になるとか、駅の掲示板など公共のものには視力の弱い人が見えるような色使いにして欲しいとか、気がつかないことがいろいろ出てきました。いいまちづくりのためにそれぞれの要望を調整し、障害者が参画しての委員会で大いに刺激をうけました。 |
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与党協議の席で見直していく |
■井上: |
障害者差別禁止法についてお伺いします。 |
■山谷: |
もどかしい所もあったのですが、やっと障害者基本法を、バージョンアップしようというところまできました。障害者差別禁止法を議員立法でという声もありますが、私は与党の立場で与党協議の席で見直していく、改善充実を図っていく、権利の主体としての障害者を新しい法体系の中にどう位置づけるかといった状況を視野にいれて協議していきたいと思ってます。 |
■井上: |
障害者基本法には差別禁止法は盛り込まれていませんね。 |
■山谷: |
そう、だから障害者基本法に差別禁止の考え方をどう取り入れていくかを考えています。不当に差別を受けた場合は救済措置をとらなければならないとか、差別禁止法の性格を付与するような形になるように考えています。せっかく障害者基本法があるのですから、そこに差別禁止の概念を盛り込むことを今、検討しているのです。 |
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障害者基本法に差別禁止の概念を |
■山谷: |
例えば、第5条の国民の責務の「障害者の福祉の増進に協力するよう努めなければならない」に差別禁止を入れてもいいですし、第7条の障害者基本計画等の「基本的な計画を作成するよう努めなければならない」は「努める」ではなく「義務」にするということも考えられます。 |
障害者基本計画作成にあたっては、障害者の参加を規定に入れるなど検討会でいろいろ洗い出しています。第11条の重度障害者の保護等について「終生にわたり必要な保護等を行うよう努めなければならない」とありますが、これは昭和45年に成立した法律で当時は障害者は保護するものという概念でした。保護するのではなく自立するために支援していくという時代にこういうものが残っているのはおかしいので直していく視点も必要でしょう。 |
第18条の「施設整備」もハートビル法がせっかくできたわけですから、そこをきちっと盛り込んで時代にマッチした条文に変えていくことなどが必要です。また、ITの活用、就労支援、ユバーサルデザイン推進も規定に盛り込むことも考えていかなければなりません。 |
第23条の「経済的負担の軽減」には、支援費制度が成立したのですから、支援費制度のあり方、自己負担のあり方、扶養義務のあり方の見直しを考えています。全体のトーンとして障害者の参加と自立、人権の確立を入れて見直しをすすめるということで、今国会中、精力的にやっているのです。障害者差別禁止法は要綱ですが、私は両方を視野に入れています。 |
■井上: |
見直しはいつ頃、形として現れますか。 |
■山谷: |
1993年に心身障害者対策基本法がバージョンアップされ10年経ったわけですから、これを今後できるだけ早くバージョンアップしようと考えています。差別禁止法の概念をきちっと盛り込めば差別禁止法を出さなくても良いのではないかとも思います。これでは手ぬるいと言うことならば議員立法で差別禁止法を出して2本立てでお互い議論しながら歩み寄って修正していく方法もありますが、その辺はまだ決めていません。 |
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現実に即した見直しが必要 |
■山谷: |
あと気になるのは、財源についてです。今後、少子化でさらに税収が落ち込んだときに、自助、互助、公助のバランスをどう作り直していくかということです。 |
アメリカではキリスト教の文化の中でいろいろな政策が決められています。日本も仏教や神道の宗教的な情操の素晴らしい国ですが、何か最近見えにくくなっています。こうした文化的バックグランドがベースにないと、権利闘争みたいになってしまって、ギスギスしてしまいます。 |
いくら立派な法律ができても、本当の愛を交わしあう心が育たなければまちづくりはできないと思います。基本的には皆が愛をもって子どもを小さいうちからきちんと教育すれば差別という意識がなくなると思います。 |
■井上: |
支援費制度について伺います。新しい制度といわれていますが、実質的にどこが変ったのでしょうか。 |
■山谷: |
概念としては介護保険と一緒です。措置ではなくて自分からサービスを選べます。でも選べるだけのサービスもないし、職員の意識改革もできてないし、予算も十分とは言えず、サービスの質は落としませんと言っているけれど実際はそうではない。とんでもない状況です。 |
介護保険は見直しの時期に入っていますが、支援費制度はまだスタートしたばかりです。現実に即した見直しが必要だと思います。それにはまず当事者である障害者が何を見直すべきか声を出して当事者の現況を訴えていく必要があります。 |
■井上: |
ぜひ、山谷さんには当事者の主体性が生かせる社会づくりを目指して活動していただきたいと思います。本日はどうもありがとうございました。 |
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