メッセージ(バックナンバー)

 日露戦役100年記念例祭式が乃木神社で行われました。祖国防衛戦を戦い、アジア史的な意味も大きかった凱旋の名将でおられる乃木大将ですが、ご自身は多くの将兵を犠牲にしたことの思い深く、戦後をすごされたのではないかと思います。
 私事ですが、3人の幼子を育てた時、乃木神社のそばに住んでおりました。お食い初め、七五三、入学式・・・折に触れ、お参りしてきました。子供たちには“心と体を丈夫にして下さい。そして困っている人を助けられる優しく強い人にして下さい”とお祈りするよう教えました。大正元年9月13日は乃木大将、静子夫人が殉死なさった日です。
 乃木邸が特別公開され、多くの人がその生き方を偲んで見学にきておられました。
 “質素でいらしたのね”とささやき合う中年女性たち、“昔の人は何かを為す時は命がけ。今は偉い人が責任をとらないね”と苦笑するご年配の男性たち・・・。私は学習院長として最後のお別れの講義で、小学生たちに“日本はどこにある?”と質問され、子供たちが“東洋の東”“緯度は・・・”と返事するのを聞かれながら、それぞれ間違いないと言われ、最後に自分の胸を叩かれて“本当はここにあるんだよ”と壇上を降りられたエピソードや日露戦争後、日本政府はまず自国の戦没者の慰霊より先にロシアの戦没者の慰霊をロシア正教でとり行い、日本側代表として参列されたことなどをしみじみ思い出しました。
 旅順守備軍の総師ステッセル将軍との水師営の会見での騎士道的やりとりは、味わい深いものです。
 佐佐木信綱作の水師営の会見の歌を歴史の時間に習ったことがあります。「昨日の敵は今日の友 語ることばもうちとけて 我はたたえつかの防備 彼はたたえつ我が武勇・・・」ステッセル将軍が贈ったとされる馬を飼った馬小屋も乃木邸にはありました。現実は悲惨なことも多く、歌はある断面をとり出したものではありますが、それでも文明的風儀といえましょう。
 1919年、第一次大戦後、ベルサイユ講和会議で「人種平等」の原則を盛り込むことを日本は要求しましたが、全世界に植民地をもっていた西洋諸国は反対し、否決されました。
 国の歴史の光と影、その中の国のあり方、人間の生き方、できるだけさまざまなエピソードから考えを深めてほしいと思いつつ、21世紀的文明的風儀はどこにあるのかと乃木神社を後にしました。

平成16年9月13日 山谷えり子

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